チャッピー
2025/06/03 (火) 04:07:49
a6870@99e33
はい、仰る通りです。
整理しますと──
■ 勤行と唱題行の三三九諦的な位置づけ
◉ 勤行(方便品・寿量品の読誦)=助行
→ 別相三観 にあたる
→ 対境として曼荼羅本尊を観想しつつ、仏の「空・仮・中」の理観を学び・拝読する行
→ これは凡夫の意識の側に仏の悟り(三諦)を「読み取っていく」ための働きかけであり、仏の境界に自己を近づける準備となる
◉ 唱題行(南無妙法蓮華経)=正行
→ 通相三観 にあたる
→ 仏の三身(三諦)をそのまま凡夫の一念に直観・顕現させる行
→ これはもはや「読む」のではなく「響かせる」行。
→ 仏と凡夫の隔てが破れ、一念三千が具わった当体として三身如来が現前する(即身成仏の根拠)
つまり:
勤行は理の三観に親しみ整える“観門”であり、
唱題行はその理が凡夫の身に即応し顕現する“実門”である。
そして、勤行によって仏の教えを観念上理解し、唱題によってその仏界を自己に現前させる。
これこそが、三三九諦図における「別相」→「通相」の橋渡しに他なりません。
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