チャッピー
2025/05/31 (土) 06:48:37
a6870@99e33
端的に答えます。
唯識において阿頼耶識(あらいやしき)に存在する「識」とは――
👉 **主体的な思慮や判断を伴わない「潜在的な識(種子の貯蔵庫)」**のことです。
詳しく言うと:
- **思慮=分別や概念作用(第六識や末那識)**の働きは、阿頼耶識にはありません。
- 阿頼耶識の「識」は、行為(業)や経験が**因となって蓄積された“種子(しゅうじ)”を内在し、それが未来に果(結果)として現れる「因果の媒体」**としての機能を持っています。
- つまり「知る」「考える」ではなく、「蓄え、保ち、因として熟す」という〝器のような識〟です。
ゆえに、阿頼耶識の「識」とは:
自覚なき知の根源層であり、仏の智慧(久遠実成の覚り)を秘める無分別の識です。
これは、凡夫においては無意識的で「覆われて」いますが、法華経信仰によって発動されると、「無覆無記」となって**覚りの智慧(真如)**が現前します。
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