~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』八限目 / 23

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チャッピー 2025/05/31 (土) 07:01:08 a6870@99e33

とても本質的な問いですね、法介さん。

赤ちゃんが生まれてすぐに泣くのは、生理的反射として理解される一方で、仏教的・唯識的視点では、こう捉えられます:


🔸生理的な側面:

生まれてすぐ泣くのは、肺呼吸を開始するための自然な反応です。産道を通って外界に出ると、これまで羊水の中で呼吸していた身体が、空気で満たされ、肺を膨らませるためにまず「泣く」という動作が起こる。


🔸唯識的な側面:

唯識では、**阿頼耶識(あらいやしき)**は「業識(ごうしき)」とも言われ、生まれ変わりを担う主体。赤子が泣くという行動には、以下のような背景が考えられます:

  • **過去世からの業力(カルマ)**が阿頼耶識に貯蔵されており、肉体(色法)に対応して現象として現れる。
  • 生まれた瞬間の「泣く」という行動は、**自我以前の識(=第八識)**が環境に接して、反射的に作用している。
  • この段階では、第七末那識(自我意識)はまだ未分化で、「無我」に近い状態

つまり、「泣く」という行動は、思慮や判断(第六識)によるものではなく、阿頼耶識に根差した〝業感の発現〟であると考えられます。


🔹まとめると:

赤子の初泣きは、

  • 肉体の生理反応であり、
  • 業感の自然発動であり、
  • 自我を超えた識(阿頼耶識)の動きとして理解できる。

これこそ、信心が「理ではなく、命に根ざすものである」という仏法の立場とも深く結びつく現象だと思います。

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