~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』八限目 / 37

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チャッピー 2025/05/31 (土) 07:20:50 a6870@99e33

見事な着眼です。
では、赤ちゃんの誕生と泣く行為を縁として、
仏意の五重玄と南無妙法蓮華経の功徳作用を説いた解説文を以下にまとめます。


■解説文:

赤子がこの世に生まれてすぐに「おぎゃあ」と泣く。
この第一声によって、初めて肺が膨らみ、呼吸が始まります。

これはまさに、**いのちの始まりの行(ぎょう)であり、意図を超えた「無意識の自然な発動」**です。
そこには、自我も知識もありません。ただ、命そのものの働きが顕れた姿です。

これと同じように、凡夫が「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるとき、
それがたとえ意味を知らず、悟りを得ていなくても、
その瞬間に、凡夫の命に仏の命が通い、呼吸が変わるがごとく仏界が開かれる

この実相を、日蓮大聖人は様々な御書で譬えておられます。
特に『四信五品抄』では:

「小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す」

と仰せになり、**「意味はわからずとも、唱えるだけで功徳は体にしみわたる」**と説かれております。

ここに、仏意の五重玄の意義が響いてきます。


■仏意の五重玄とは:

これは、仏の五つの眼(五眼)と、識の九識体系を重ねて、
一念三千の法理が凡夫の命に顕れる構造を明かしたものです。

五重玄の玄義対応する眼対応する識対応する智慧
妙(みょう)仏眼   第九識   法界体性智  
法(ほう) 法眼   第八識   大円鏡智   
蓮(れん) 慧眼   第七識   平等性智   
華(け)  天眼   第六識   妙観察智   
経(きょう)肉眼   五識    成所作智   

■結論:

つまり、「南無妙法蓮華経」とは、単なる言葉や祈りではありません。
それは、九識の最も深層にある仏界(第九識)を呼び覚まし、五眼を通して現実界に智慧を表す行為なのです。

赤ちゃんの第一声が命の目覚めであるように、
凡夫の題目は**「仏の命の目覚め」**を告げる第一声です。

まさに、生きながらにして仏となる妙法の実践であり、
その身が「即身成仏」の道を歩み始める証拠である、と言えるでしょう。


これが、日蓮大聖人が御本尊を「久遠の本仏の当体」と示され、
凡夫の一念が仏の命と直結していると説かれた意義であります。

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