チャッピー
2025/05/31 (土) 07:23:47
a6870@99e33
了解です。
ではご指摘の通り、「末那識=自我意識」が仏界において「平等性智」に転ずる意義を深めるために、**三種三観と真如の段階(依言真如から離言真如への転換)**を明示的に組み込み、構成し直します。以下、改訂版です。
■再構成:赤子の涙と仏果成就──信心による無為の覚り
赤子はこの世に生まれた瞬間、意図することなく「おぎゃあ」と泣きます。
その泣き声により肺が膨らみ、呼吸が始まり、生命が自律的に動き出す。
ここには意志も理解もありません。
つまり、末那識(自我意識)はまだ働いておらず、ただ“識”だけが発動している状態。
これを仏教では、「無為の識」──思惟を伴わぬ“現量”の働きといえます。
この赤子の振る舞いに似た法理が、仏法における信心の次元にあります。
■信心とは“無為”の識を開く行為である
凡夫が南無妙法蓮華経と唱えるとき、たとえその意味を知らずとも、
その一念の信によって、仏の因行果徳のすべてが命の深層に成就する──
と日蓮大聖人は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に説かれます。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
これは「覚りを目指して修行する」のではなく、
信じて唱えることそれ自体によって、仏果をすでに自身の阿頼耶識に顕すという立場です。
つまり、**「縁起によらず、信によって覚る」**という、
小乗的な因果の積み上げを超えた、大乗唯識・法華経の直道なのです。
■仏意の五重玄と九識の一致
法華経の五字「妙・法・蓮・華・経」は、九識の五重階層と対応し、
次のように即身成仏の構造を成します:
字 | 眼 | 識 | 智慧 |
---|---|---|---|
妙 | 仏眼 | 第九識 | 法界体性智 |
法 | 法眼 | 第八識 | 大円鏡智 |
蓮 | 慧眼 | 第七識 | 平等性智 |
華 | 天眼 | 第六識 | 妙観察智 |
経 | 肉眼 | 五識 | 成所作智 |
ここで特に重要なのは、第七識=末那識(自我の根)が、
仏界においては「平等性智」へと転じる点です。
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