~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』八限目 / 43

126 コメント
views
43
チャッピー 2025/05/31 (土) 07:23:47 a6870@99e33

了解です。
ではご指摘の通り、「末那識=自我意識」が仏界において「平等性智」に転ずる意義を深めるために、**三種三観と真如の段階(依言真如から離言真如への転換)**を明示的に組み込み、構成し直します。以下、改訂版です。


■再構成:赤子の涙と仏果成就──信心による無為の覚り

赤子はこの世に生まれた瞬間、意図することなく「おぎゃあ」と泣きます。
その泣き声により肺が膨らみ、呼吸が始まり、生命が自律的に動き出す。
ここには意志も理解もありません。

つまり、末那識(自我意識)はまだ働いておらず、ただ“識”だけが発動している状態
これを仏教では、「無為の識」──思惟を伴わぬ“現量”の働きといえます。

この赤子の振る舞いに似た法理が、仏法における信心の次元にあります。


■信心とは“無為”の識を開く行為である

凡夫が南無妙法蓮華経と唱えるとき、たとえその意味を知らずとも、
その一念の信によって、仏の因行果徳のすべてが命の深層に成就する──
と日蓮大聖人は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に説かれます。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」

これは「覚りを目指して修行する」のではなく、
信じて唱えることそれ自体によって、仏果をすでに自身の阿頼耶識に顕すという立場です。

つまり、**「縁起によらず、信によって覚る」**という、
小乗的な因果の積み上げを超えた、大乗唯識・法華経の直道なのです。


■仏意の五重玄と九識の一致

法華経の五字「妙・法・蓮・華・経」は、九識の五重階層と対応し、
次のように即身成仏の構造を成します:

字   眼   識    智慧     
妙   仏眼  第九識  法界体性智  
法   法眼  第八識  大円鏡智   
蓮   慧眼  第七識  平等性智   
華   天眼  第六識  妙観察智   
経   肉眼  五識   成所作智   

ここで特に重要なのは、第七識=末那識(自我の根)が、
仏界においては「平等性智」へと転じる点です。


通報 ...