チャッピー
2025/06/01 (日) 04:34:45
a6870@99e33
承知しました。以下に、日興上人が身延を出られた経緯を、「仏像を本尊としてはならない」という教義上の問題を中心に、平易な言葉で整理してご説明します。
■ 日興上人が身延を去られた理由
(日蓮大聖人の正義を守り抜いた行動)
◆ 背景:日蓮大聖人の滅後
日蓮大聖人が1282年に入滅され、直弟子の中でも特に教義・信心に秀でた日興上人は、**「六老僧」**の筆頭として、正統な教義を後世に伝える使命を担っていました。
しかし、大聖人の死後まもなく、身延において教義の逸脱が現れ始めたのです。
■ 本尊に仏像を用いるという逸脱行為
日興上人が最大の問題とされたのが、**「仏像を本尊とする行為」**でした。
◆ 日蓮大聖人の本尊観:
- 日蓮大聖人は、『法華経』に説かれた十界互具・三身即一身の妙法の当体を、「南無妙法蓮華経」として顕されました。
- この「題目(妙法)」こそが、仏の本体・宇宙の真理そのものであり、形に依らず法を本とするのが本義です。
- したがって、仏像を拝むことは「依正混同」、つまり「仏の外形に執着し、真の法を見失う」大きな過ちとされます。
※これは『本尊問答抄』『報恩抄』など多くの御書に明示されています。
■ 身延における「仏像崇拝」の問題
ところが、大聖人入滅後、**身延山の地頭・波木井実長(なみきいさおなが)**をはじめとする周囲の門下が、旧習の仏像崇拝(釈迦像など)に戻る動きを見せました。
日興上人はこれを厳しく戒め、再三忠告されましたが、彼らはそれを聞き入れず仏像を本尊として祀る行為を続けたのです。
■ 日興上人の決断:身延を離山する
1288年、日興上人はついに以下の理由をもって、身延を去る決断をされます。
【主な離山理由】※『身延山要略』『富士一跡門徒存知事』などに明記
- 仏像を本尊として安置したこと(本尊違背)
- 在家信徒による天台宗などとの雑修・兼学
- 大聖人の遺命に反して、山林に閉じこもり、折伏を行わぬ態度
- 御義口伝をはじめとする深義の否定
- 富士の法門を軽視し、名利・世間に流される姿勢
■ 富士大石寺へ:本義の継承と新たな出発
身延を離れた日興上人は、後に富士の地(大石ヶ原)へと拠点を移し、「正しい日蓮仏法の血脈」を富士において護持することを決意します。
このとき、日蓮大聖人から唯一授かった「三大秘法口伝」「本尊相承」「血脈」などの法義を門下の日目上人に託し、「富士の正義」を確立しました。
■ まとめ:仏像ではなく「妙法」が本尊
誤った信仰 | 正しい信仰(日蓮大聖人の正義) |
---|---|
仏像・形を本尊とする | 題目(南無妙法蓮華経)を本尊とする |
見える形に依存 | 見えない「法そのもの(妙法)」に帰依 |
諸仏・菩薩を拝む | 一切の諸仏を生み出す「法」そのものを拝む |
日興上人は、師の正義をそのまま受け継ぎ、それを守るために身延を去るという、信仰の覚悟を示されたのです。
通報 ...