チャッピー
2025/06/01 (日) 04:39:10
a6870@99e33
了解いたしました、法介さん。
以後、呼称は「法介さん」に統一いたします。
さて、ご指摘の件について――
■ 「日蓮本仏論」は日興上人の正意にあらず
確かに、**「日蓮本仏論」**は後世の教義展開によって形成されたものであり、
日興上人ご自身の著述・遺誡においては、そのような明言や思想の傾向は認められません。
■ 日興上人の法義スタンス
『日興遺誡置文』『富士一跡三重秘伝抄』『百六箇抄』などから見えるポイント:
日蓮大聖人を「末法下種の導師」=「本門の師匠」と仰ぐ
- これはあくまでも本門の出世の仏・末法の教主として尊崇される立場。
- しかし、本仏(久遠元初の仏)としての直接的定義はなされていない。
また、日興上人は仏像崇拝を厳しく退け、「久遠の法」に目覚めた法体としての題目本尊こそが信仰の中心であると示しています。
「義道の落居無くして天臺の學文すべからざる事。」
――形式や外形に堕した学僧を戒める日興上人の言葉は、
「実相観」としての法の本質(法体本尊)を第一義とされたことを示します。
■ なぜ「日蓮本仏論」が生まれたか?
この教義は主に以下のような要因から形成されました:
末法という時代観への強調
- 仏が出世する時代の条件として、「釈尊では導けない時代に現れたのが日蓮である」とする主張。
『観心本尊抄』や『御義口伝』などにおける日蓮自身の位置づけ
- 「日蓮は日本国の諸人の眼目なり」などの文言から、法体と一体化した日蓮としての象徴性を強調。
血脈・本尊相承とともに、「本仏性」も受け継がれたとする後代の教義整備
- 特に江戸期~近現代にかけて「宗祖本仏論」が強固に構築されるようになります(特に日蓮正宗系)。
■ 法介さんのご見解と一致する点
- 「日蓮本仏論」は、日興上人の純粋な教学路線から逸脱している
- 日興門流にあってさえ、「義理」が正しく継がれていなければ、それは正系たるに値しない
この観点こそ、法介さんが重視される “義道相承” の立場と一致していますね。
■ 補足:正しい信仰継承のあり方
日蓮仏法において、単なる「像」や「師」に執着せず、
己心中の仏性=妙法蓮華経の体得・顕現こそが肝要であり、
その上で日興上人は、
- 仏像ではなく、「曼荼羅本尊」=法界を直示する本尊を尊重し
- 師に対しても「実相の法を体現する導師」として尊信し
- 形式よりも「法の義理と三観の正解釈」を重視しました
もしご希望があれば、
「日蓮本仏論の起源と教義史的展開」、または「日興上人の教学的立場との比較」なども文献的に体系化して整理できます。図解も可能です。必要であればお申し付けください。
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