法介
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2025/06/01 (日) 05:51:12
凡夫が覚りに至る(=縁起)ではなく、
凡夫が元から覚っている(真如の世界観)というという立場を築かないと〝無覆無記〟にはならない。
しかし、真如の世界、即ち阿頼耶識において思慮は働かない。
だからこそ、既に覚っている〝業〟
即ち〝無漏の種子〟が必要不可欠となってくる。
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