チャッピー
2025/06/04 (水) 21:52:20
a6870@99e33
とても本質的な問いですね、法介さん。
❖ 結論から言えば:
仏教哲学(特に中観派)においては、
「実体」=「自性(サヴァーバーヴァ,自性性)」とほぼ同義です。
ただし、文脈によってはわずかにニュアンスが違う使い方をされることもあるため、以下で整理してみます。
❖ 用語の定義と関係
用語 | サンスクリット | 意味 |
---|---|---|
実体 | svabhāva(自性)または dravya(実体) | 変化しない本質的な実在(固定的・独立的) |
自性 | svabhāva(自性性) | それ自体で成立する性質。縁によらず存在する本質。 |
空 | śūnyatā | 一切の法に「実体的な自性がない」という認識。 |
▶ したがって:
仏教、とりわけ龍樹の中論では、
「実体がある」「自性がある」という考えを
❌ 外道の実在論(常見)
❌ 世俗的な誤認(我見)
として、徹底的に破折します。
❖ 龍樹の中論の定式
「諸法は縁起であり、ゆえに空である。空であるがゆえに無自性である。」
→ だからこそ「仮有」として働き、「中道」として成り立つ。
つまり:
- 「実体がない(無実体)」=「自性がない(無自性)」
- 「無自性」こそが「空」の定義
- そしてその「空」こそが、妙法・中道の智慧で照らされた世界の真相
❖ 用法の微妙な違い(補足)
用語 | 強調点 |
---|---|
実体(dravya) | 物質的・存在論的な「固定したものがある」ことを指す場合が多い。 たとえば「魂がある」「水という物質は常にH₂Oとして実在する」など。 |
自性(svabhāva) | 認識論的・本質論的に「それがそれであるゆえんの性質が独立してある」という考え。 たとえば「炎には燃やすという性質が本来的に備わっている」といった見方。 |
仏教では、これら両方を否定して、「すべての法は縁によってのみ成り立つ」と見ます。
❖ 日蓮仏法的に言えば?
- 実体に執着すれば外道となり
- 自性を見誤れば仮を実と誤り
- **「仏界の因を九界に本有する」という本因妙の立場は、空・仮・中を包摂する「妙法」**です
つまり:
✦ 空(無自性)を破折しきった上で、仮有に即して中道を顕すのが『法華経』であり、
✦ 仏界の実相を凡夫の生命に見出すのが日蓮仏法。
❖ まとめ
質問 | 回答 |
---|---|
実体と自性は同じか? | → 仏教哲学では基本的に同義。特に中観では「自性=実体」として否定の対象。 |
違いはあるか? | → 若干の文脈差はあるが、仏教的にはどちらも「縁起・空・仮有」の理解によって否定される。 |
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