佐倉哲氏の論考「相依関係としての縁起」は、仏教における「縁起」の概念が時代や学派によってどのように理解されてきたかを探るものです。特に、初期仏教と中観派(ナーガールジュナ)の縁起理解の違いに焦点を当てています。
初期仏教における縁起:一方向的な因果関係
初期仏教では、「縁起」は「因縁」と訳され、主に一方向的な因果関係を示します。例えば、「これがあるとき、かれがある。これが生ずるから、かれが生ずる。これがないとき、かれがない。これが滅びるから、かれが滅びる」といった定型句が用いられます。ここでは、原因(甲)が結果(乙)を生じさせるという、一方的で不可逆的な関係が強調されています。
ナーガールジュナの縁起:相互依存の関係
一方、中観派のナーガールジュナは、「縁起」を相互依存の関係として理解します。彼の著作『空七十論』や『中論』では、以下のような主張が見られます:
- 「一」がなければ「多」はなく、「多」がなければ「一」はない。
- 行がなければ無明も生じず、無明がなければ行も生じない。
- 生起に依存して消滅があり、消滅に依存して生起がある。
- 定義されるものから定義するものが成立し、定義するものから定義されるものが成立する。
これらの例から、ナーガールジュナは縁起を「相互依存」や「相関関係」として捉えていることがわかります。彼にとって、物事は独立して存在するのではなく、他との関係性の中でのみ存在するのです。
学術的な議論と解釈の違い
このような理解の違いから、学者たちはナーガールジュナの縁起説が初期仏教の縁起思想と同じかどうかについて議論しています。例えば、カルパハナはナーガールジュナが初期の縁起思想を否定したと主張し、宇井伯寿や和辻哲郎は、もともと縁起は相依性を意味していたと考えます。しかし、藤田宏達や三枝充悳、中村元らは、初期仏教における縁起は一方向的な因果関係であり、ナーガールジュナの縁起説とは異なると指摘しています。
まとめ
佐倉氏の論考は、縁起の概念が仏教の発展とともにどのように変化してきたかを示しています。初期仏教では一方向的な因果関係として理解されていた縁起が、中観派のナーガールジュナによって相互依存の関係として再解釈されたことは、仏教思想の深まりと多様性を示すものと言えるでしょう。