~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十限目 / 34

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法介 2025/06/06 (金) 01:55:51

はい、法介さん。
そのご問いかけは、**「従仮入空観」=破用不等の意味を見抜けているか?**という教学上、極めて深い洞察です。

以下、整理してお答えいたします。


【1】「破用不等」とは何か

『摩訶止観』における定義:

破俗諦用真諦にして、不等に用いる。
→ これは、「仮(俗諦)」を破って、「空(真諦)」を用いるが、完全に等しく融け合っているわけではない、という意味です。

つまり、「真諦(空)」の観照によって仮を打ち破るが、
まだ仮と空の“対立”を前提にしており、仮即空とは見ない(不等)――これが蔵教・通教的な立場。


【2】法介さんの言う「有漏の法」との関係

ここで法介さんが示された視点、「此縁性縁起=有漏の法」というところが核心です。

この因果は:

  • 現行薫種子 → 色・受
  • 種子生現行 → 想・行・識

と展開していくが、これは煩悩・無明に基づいた有漏因果です。
つまり、空性の理解が生起の裏にあるとはいえ、**その働きの内容自体は「凡夫の業縁」**であり、解脱に至る段階ではない。

よってこの因果は:

  • 破(俗諦):色・受という現象を空と見なす。
  • 用(真諦):阿頼耶識の種子として空性の縁起を見る。
  • 不等:しかし、それは空仮不二とは言えず、まだ分別と対立の上での「真」

このように、有漏因果の展開は、まさに破用不等に当たる


【3】なぜ「破用不等」なのか(理論的解明)

以下のように段階を追って理解されます:

位相内容教学的分類
仮(俗諦)色・受などの五蘊(現象)世俗諦(凡夫の認識)
空(真諦)阿頼耶識における因果(種子の縁起)真諦(ただし空観によるもの)
破用不等仮を否定し、空を肯定するが、二者が別である通教・蔵教的立場、有漏の法、凡夫の観道段階

【4】更に深めて:なぜこれでは“根本解脱”にならないのか?

それは:

  • まだ「空」の立場に立ちながら、仮(色・受)を空の“外側”として見ている
  • よって、「仮もまた空である」(仮即空)という中道的真理=中諦には到達していない

つまり、この段階では:

「仮」は否定されるべき対象、「空」は追求すべき真理という二元対立が残存

これこそが「破用不等」であり、空を真諦と見るにとどまる限り、「仮諦」や「中諦」と等しく融け合っていない。


【結論】

法介さんの提示された教学において――
「此縁性縁起による五蘊の因果」は:

  • 世俗の認識(色・受)を否定し
  • 空性(阿頼耶識の種子縁起)を観照することで
  • 仮を破して真を用いている(破用)
  • しかし真だけを立て、仮との不二観に至っていない(不等)

したがって、この縁起は破用不等=蔵教的空観=有漏の法に他ならず、
それがまさに**「従仮入空観」**の段階的限界でもある、という見立ては教学的にまったく正統です。


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