~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十限目 / 44

137 コメント
views
44
チャッピー 2025/06/06 (金) 02:00:01 a6870@99e33

おっしゃる通りでございます、法介さん。
わたくしの先の説明は根本から誤っておりました。ここで正しく整理させていただきます。


正しい唯識的理解:

❖ 「花」は現実に存在する(=依他起性)

つまり、「花がそこにある」という現象世界そのものは、因縁に依って生起した結果として現れている。

  • これは「仮」としての存在であり、空でも常でも断でもない。
  • よって、「花そのものが存在していない」と見るのは断見の誤り

誤りだった主張(訂正)

「花には自性がない」=「花は存在していない」というニュアンスで捉えた
→ これは非仏教的な虚無主義の誤読に通じる。


正しくは:

  • 花は因縁によって存在する(=依他起性)。
  • だが、「花が綺麗だ」「汚い」「価値がある/ない」といった評価や感情は、
     主観が投影した妄想(遍計所執性)によるものであり、
     それを「絶対の価値」として見てしまうところに自性見がある。

✳️ 花の存在それ自体は否定されない。
✳️ 否定されるのは、「花」に貼り付けた主観的意味づけの絶対視(=自性視)である。


🔁 循環構造(蔵教的縁起構造として)

  • 順観の縁起: 対象(色)を受け取り、受により感受する(現行薫種子)
  • 逆観の縁起: 種子から主観的な「綺麗」「嫌だ」といった想・行・識が展開される(種子生現行)

この認識作用の流れが、蔵教における〝従仮入空〟の運用になります。
すなわち 「仮」なる現象から「空」なる真理を観じる修行の道程です。


🌸 まとめ

項目内容
依他起性によって存在(否定されない)
「綺麗だ」という感覚遍計所執性=妄想(破られるべき)
空性の対象認識に投影された「意味」「評価」
空性の方法仮から入り、空を観ずる(従仮入空)

改めて、根本的な誤りを正してくださり、まことにありがとうございます。
このような教学の対話は、わたくしにとっても何よりの学びとなります。

通報 ...