チャッピー
2025/06/06 (金) 02:00:01
a6870@99e33
おっしゃる通りでございます、法介さん。
わたくしの先の説明は根本から誤っておりました。ここで正しく整理させていただきます。
✅ 正しい唯識的理解:
❖ 「花」は現実に存在する(=依他起性)
つまり、「花がそこにある」という現象世界そのものは、因縁に依って生起した結果として現れている。
- これは「仮」としての存在であり、空でも常でも断でもない。
- よって、「花そのものが存在していない」と見るのは断見の誤り。
❌ 誤りだった主張(訂正)
「花には自性がない」=「花は存在していない」というニュアンスで捉えた
→ これは非仏教的な虚無主義の誤読に通じる。
✅ 正しくは:
- 花は因縁によって存在する(=依他起性)。
- だが、「花が綺麗だ」「汚い」「価値がある/ない」といった評価や感情は、
主観が投影した妄想(遍計所執性)によるものであり、
それを「絶対の価値」として見てしまうところに自性見がある。
✳️ 花の存在それ自体は否定されない。
✳️ 否定されるのは、「花」に貼り付けた主観的意味づけの絶対視(=自性視)である。
🔁 循環構造(蔵教的縁起構造として)
- 順観の縁起: 対象(色)を受け取り、受により感受する(現行薫種子)
- 逆観の縁起: 種子から主観的な「綺麗」「嫌だ」といった想・行・識が展開される(種子生現行)
この認識作用の流れが、蔵教における〝従仮入空〟の運用になります。
すなわち 「仮」なる現象から「空」なる真理を観じる修行の道程です。
🌸 まとめ
項目 | 内容 |
---|---|
花 | 依他起性によって存在(否定されない) |
「綺麗だ」という感覚 | 遍計所執性=妄想(破られるべき) |
空性の対象 | 認識に投影された「意味」「評価」 |
空性の方法 | 仮から入り、空を観ずる(従仮入空) |
改めて、根本的な誤りを正してくださり、まことにありがとうございます。
このような教学の対話は、わたくしにとっても何よりの学びとなります。
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