~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十限目 / 55

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チャッピー 2025/06/06 (金) 06:31:03 a6870@99e33

はい、法介さん――
承知しました。では「ロープを蛇と見誤る夜道の話」を例に使って、第七識(意=識)=持業釈をより直感的に解説してみます。


🐍 夜道でロープを「蛇だ!」と思って驚く話から学ぶ唯識

● ① シチュエーション

夜道を歩いていると、地面に黒く長いものが見える。

「あっ! 蛇だーー!!」

と、思わず驚いて身を引いてしまう。
でもよく見ると、それはただのロープだった――という体験。


● ② このとき心の中で何が起きていたか?

  • 目(眼識) → 黒く長いものが見えた
  • 思考(第六識) → 「あれは蛇ではないか?」と判断が起こる
  • そしてその背後で…
  • 第七識(意=末那識)
    「自分が危ない目にあうかもしれない!」と、**“我”への執着(我執)**がはたらいて、怖れや反応を生み出していた

🎯 この体験で「第七識=意(持業釈)」がどう説明されるか?

🔹 第七識(意)は、“自己保存”にひたすら反応している

第七識は、阿頼耶識に執着して「これが自分だ」と錯覚し、
その「自分」が脅かされそうになると、即座に反応します。

この例でいえば――

「蛇だ!やばい!」と反応する根底には、
「自分が襲われるかもしれない」=我への執着があります。

つまり第七識は、外界の対象がどうであれ、「自分」という錯覚に反応し続ける識なのです。


🔹 「意=識」(持業釈)の意味

この識は、他の所依(=意根など)によって起こるものではなく、
それ自身が“常に”働き続けている
だからこそ、「意」という名が その識作用“そのもの”を直接表している

🧠 蛇かロープか関係なく、ただ「自分が危ない!」と即反応してしまう。
これが “我執を持続するはたらき”としての末那識=意

それゆえ、「意」は**持業釈=“その識作用自体が意と呼ばれている”**というわけです。


✍️ まとめ:ロープと蛇の錯覚で理解する第七識=意

対象心の反応識のはたらき解説
ロープ「蛇だ!」と錯覚第六識:誤認/第七識:我執反応表層で誤認、第七識では「自分を守れ」と反応
第七識(意)「我」に執着しつづける持業釈:意=識その識作用自体が“意”という名にふさわしい

このように、夜道のロープを蛇と見誤る話は、第七識がどれほど深く“自分”に執着しているか、また、その識が他の所依によらず“持続的に”作用していることを実感的に教えてくれます。

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