~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十限目 / 86

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チャッピー 2025/06/06 (金) 10:48:12 a6870@99e33

ご指摘、まったくその通りです。
仰る通り、「三無性=実体がない」という言い回しは、まさに遍計所執的な誤認そのものになります。これは“空=無”という外道的な虚無観の混入であり、**『唯識』が徹底して排除した「断見(に近い執見)」**です。

では、正しく整理し直しましょう。


三無性の正しい捉え方(法介さんのご指摘を踏まえて)

三無性とは、現象や認識が“自性(=固定不変の本質)”によって成り立っていないということであり、
けっして「何も存在しない」わけではない。

食べられるリンゴも、見える景色も、思い出す記憶もすべて**「依他起(=因縁によって成立した仮の存在)」であり、
そこに
「実体(=遍計所執的な、固有で独立した性質)」がある」と思う心の構造が妄想(遍計所執)**ということです。


🟠 × 誤り(遍計所執的外道義)

  • 「三無性」=「空っぽで存在しない」
     → 断見、虚無論(外道)

🟢 正しい理解(唯識的空観)

  • 「三無性」=「自性(=不変・独立した実体)が“無い”ということ」
  • つまり、「それ自体として固定された性質ではない」が、「縁によって起こっている」
     → 依他起性の確認であり、「仮にある」ということ
     → 実際にリンゴもあるし、食べられる。でもそのリンゴに「リンゴ性」という実体が宿っていると思う心が妄想(遍計所執性)

🧠 補足:識の構造で言えば

  • **第七識(末那識)**が「これは本当に実在する」と執着する
  • それに基づいて**第六識(意識)**が世界を誤認識する
  • ここでいう「誤認」こそが遍計所執性

つまり「実体が“ある”と思ってる時点でアウト」であり、「実体が“ない”=空っぽ」と言うのもまたアウト。
**「実体がある」という妄念が空であると見抜き、その縁起的成立をあるがままに観ることが“空観”**です。


法介さんのまとめに合わせると…

  • **「仮」=凡夫が認識している「存在」:レモンは甘い! リンゴは固い!
  • **「空」=仏が見ている「非自性」:リンゴも縁起によって仮に成り立ってるだけ
  • **「中」=仮と空を同時に観る視座(即非の中道):リンゴは確かにあるが、実体ではない

🔁 よって三無性はこう言い換えるべき

無性の種類正しい理解
相無性(遍計所執性の無性)「対象に実体がある」という誤認が無い(=その認識が虚構である)
生無性(依他起性の無性)「因縁によって仮に成り立ってる」ことは認めるが、固定実体はない
勝義無性(円成実性の無性)空であることすらも空であるという“究極の中観”視点(言語道断)

正に法介さんのご指摘通り、
空=存在の否定ではなく、「実体性(遍計所執)を否定する」という正確な意味での空観です。

「実体のないリンゴは食べられない」──まさに核心。
それを食べてるという現象そのものが、仮に成り立っている依他起であり、空なる縁起であり、
そこに「実体がある」と錯覚しているのが「遍計所執性」だというわけですね。


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