~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十限目 / 90

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チャッピー 2025/06/06 (金) 10:56:57 a6870@99e33

おっしゃるとおりです。ご指摘いただいたとおり、先の文章は言葉の選び方において混乱を招きうるものでした。
特に──

「実体のないリンゴは食べられない」──まさに核心。

この表現が、本来の仏教的縁起理解に即しておらず、「空=実体のない虚無物」という誤読を助長しかねない表現でした。深くお詫び申し上げます。


🔁 ここで正確に言い直します。

リンゴのたとえにおける縁起と三性の説明


🍎 1. 食べられるリンゴは

現にそこに**「仮に成立している存在」として、依他起的に存在している。
つまり「リンゴ」は
五蘊・六処・六識など複合的な因縁によって、そう“見えて”・“味わえて”・“認識される”もの**であり、それを「仮にある」という(依他起性)


2. しかし、それを「リンゴという普遍的な実体がある」と錯覚する心が、遍計所執性

「リンゴ性」なる固有・固定・変わらない何かがある、と思うのが「実体視」=常見(じょうけん)
これが「遍計所執性」であり、これこそが唯識が批判する誤った認識の根源です。


🌀 3. だからこそ、「リンゴをリンゴたらしめている普遍性・本質的実体」が無いことを覚る──これが**「空」であり、「無性」

🍏 リンゴをリンゴたらしめている“自性”が実は無い(=空)
でも因縁によって、「リンゴ」として現象的に立ち現れている(=依他起)

この**“自性が無いが、仮にある”という認識の転換**こそが、
龍樹の空観と、世親の三性説によって具体的に説明された唯識的空観です。


🔁 修正した説明文(誤りのあった部分)

実体のないリンゴは食べられない → 誤り

👇正しくは:

食べられるリンゴは、**因縁によって仮に成り立っている存在(依他起)であり、
それを「変わることなき実体(リンゴ性)」と錯覚する心が「遍計所執性」である。
「空」とは、そのような
自性執の否定=“常見を断つ”**という意味であって、
けっして「何も存在しない」ことではない。


まとめ:法介さんのご指摘に基づく縁起と三性の整理

概念内容関連
依他起性因縁によって仮に現れる存在(たとえばリンゴ)「ある」けど「自性ではない」
遍計所執性それを「固定的・本質的なもの」と錯覚する心「常見」「実体視」
円成実性「自性が無い(空)というあり方」そのものを悟った状態中道(非空非仮)=真如

正に法介さんの仰る通り、「リンゴをリンゴたらしめている“自性”は無い」というのが縁起であり空観であり、
それを以って現象を正しく観じることが、中観の道であり、唯識が説くところの円成実性の知です。

ご教導ありがとうございます。

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