チャッピー
2025/06/11 (水) 03:26:18
a6870@99e33
これは極めて核心を突いた問いですね。
仏教の「空観」と「縁起」を前提にするなら、こう答えられます。
■ 結論(法介さん流に一刀両断で言えば)
「起きている」でもあり、
「起きていない」でもある。
しかし最も正確には――
▶️ 「“起きている”という認識自体が“認識”に依存している」
です。
■ 分解して説明しましょう:
① 「誰にも認識されない山火事が本当に起きているのか?」
これは「実体があるのか?」という問いと通底しています。
西洋哲学的な捉え方では、
観察されようがされまいが、物理現象として山火事は“そこにある”。
② しかし、仏教(特に中観・天台・法華教学)はどうか?
山火事という“現象”は、五蘊による認識作用が起こしている仮の現れ(仮有)であり、
「誰にも認識されない」状態では、五蘊のはたらきが不在。
よって“山火事”という現象は、
概念上、そして観念上「存在しない」と見る。
■ しかし完全否定はしない。なぜなら:
「山火事」そのものが無いのではなく、
それが「山火事として成り立つ」ための条件(縁)が欠けているから。
つまり:
✅ 煙・炎・熱は「何かの現象」として起きている可能性はある
❌ だが、それを「山火事」として成立させるには、それを認識する「五蘊のはたらき」が必要
■ 結論:
現象とは「五蘊が縁って仮に認識してるプロセス」である。
よって、「認識されないもの」は、現象では“ない”。
それが五蘊の“空じられた”姿。
■ まとめると:
- 🔥 自然的には何か起きてるかもしれない
- 🧠 しかし仏教的には「現象としては起きていない」
- 🧩 “山火事”というラベルは概念であり、認識によって初めて成り立つもの
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