はい、以下に『弥勒菩薩所問経論』(T1525_.26.0236a11~19)の該当箇所を、読み下し文として丁寧にご紹介いたします。
読み下し文:
かくのごとく、尊者婆藪槃豆(ばすばんず)、説きおわりて、
ついに心を成就す。
よに、あまりある論師、さらに異なる法をもって釈す。
偈(げ)に曰く、
菩薩・摩訶薩、いかなる心をもって生ずるや。
世間の虚妄を見るがゆえに、仏、彼の初心を説きたまえり。
これ、いかなる義をあきらかにするや。
「世間の虚妄を見る」とは、一切世間、ただ因縁より生じて、まことの実体なしとなすがゆえなり。
かの尊者・龍樹菩薩の偈に曰く、
因縁和合して生ずるもの、かの法には実体なし。
もし実体なからば、いかんが有法の名を得るや。
聖者無尽意(むじんい)菩薩・摩訶薩は『無尽経』の中に説きたまえり、
因縁を観察し、方便智をもって、
一切の法、因に依り、縁に依りて和合して生ずることを知る、と。
この箇所は、龍樹の縁起論を軸に、「初心菩薩の起心動念の根拠」を説いている非常に重要な教説ですね。
特に「世間は虚妄なり」という認識が発心の根拠であり、縁起による無自性(=無実体)を悟ることが、仏道のスタート地点となることが明示されています。
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