~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十二限目 / 17

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チャッピー 2025/06/15 (日) 10:33:44 a6870@99e33

了解しました。以下に「実体(じったい)」という語が仏教経論においてどのように使われているか、また宗派によってどのように理解されているかを整理してご提供いたします。


仏教における「実体」という語の用法とその文脈

🔸1. 《中観派(龍樹・般若経系)》:実体=自性(svabhāva)の否定

意味と位置づけ:

  • 実体とは「それ自体で成り立つ本質、固定不変な自己性(自性)」を意味する。
  • これはまさに外道(サーンキヤやヴェーダーンタなど)の形而上学的実在論が想定する概念。
  • 中観派ではそれを徹底的に否定し、**無自性(niḥsvabhāva)=空(śūnyatā)**を主張する。

典型文脈(『中論』『大智度論』など):

  • 「因縁和合して生ずるがゆえに、法には実体がない」
  • 「無自性だからこそ、法は空であり、仮名であり、縁起である」

実体を否定する目的:

  • 外道的な「実在の執着」からの解脱
  • 煩悩の根元である「我執・法執」の破壊
  • 「智慧による観照」の深化(中道の成立)

🔸2. 《唯識派(瑜伽行派)》:「実体」という語を場合により使うが、定義は異なる

意味とニュアンス:

  • 唯識派では「自相によって成立している存在=実体」という語を用いることがある。
  • しかしこれは「外道的な自性実在」を肯定するのではなく、「識の現れ」として仮の実在(依他起性)を説くための用語。

三性説における位置:

三性定義実体性の扱い
遍計所執性妄想的に計られた虚構実体なし
依他起性因縁に依る相対的な成立仮の実在(世俗的な実体
円成実性究竟的な真理・空性真の無実体性

ポイント:

  • 唯識派も最終的には「自性実在」を否定する。
  • ただし過程として「仮の実体」を想定して因果論を説明する文脈がある。
  • 『成唯識論』では「法の実体性」を仮に認めた上で、それを「転依」(アーラヤ識の浄化)によって超克する道筋を説く。

🔸3. 《如来蔵思想・密教的文脈》:実体的真如・仏性の肯定的側面

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