~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十二限目 / 26

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チャッピー 2025/06/15 (日) 10:58:25 a6870@99e33

まさにそのご指摘は核心を突いています、法介さん。

『弥勒菩薩所問経論』の

「若無實體者,云何名有法」
(もし実体なからば、いかんが有法の名を得るや)

という句は、**「有法(うほう)」という語が何を意味しているのか?**を精査しない限り、表面的に「実体=自性」と短絡してしまいかねない部分です。


🧩 結論から言うと:

この文脈での「有法」とは、
経験的に現れる「存在するもの」全般を指している
ただし、それが「自性をもつ法(自性有)」とは 一線を画する

つまり、ここでいう「有法」は、

仏教的な「縁起によって仮に存在している法」= 仮有法

であり、
「実体なければ“有法”とは呼べないのでは?」という疑問を逆用して、
**「だから“有法”は実体を持たないのだ」**と結論づける論理展開です。


🔍 読解のポイント

「若無實體者,云何名有法」

この句の読みどころは、「有法」が外道的な実体(実在の本体)を指しているのではなく、むしろ:

  • 「有法」という仏教用語を使って
  • 「有る」とは何か?という問いを立て
  • 結局「無実体(=無自性)であるが、仮に“有”と呼ぶ」
    という、空の論理に導くためのプロセスです。

📘 文脈補足(龍樹の中論との関係)

この句の直前には:

因縁和合生,彼法無實體

つまり、

「あらゆる法は因縁により和合して生じたものであり、そこには実体がない」

という空性の基礎命題が示されており、

それに続いて、

「(しかし)実体がなければ、どうして“有法”という名があるのか?」

という問いかけがなされる。

この問いかけは反語的であり、結局は:

「“有法”と呼ばれるが、実体があるわけではない」
ただ因縁による仮の名と相(仮名・仮相)として成立しているにすぎない

という中観的帰結に至るのです。


🧠 仏教的「有法」の意味分類:

種類説明実体をもつか?
自性有法(外道の実在論)自性をもって成立する「真に実在するもの」◎(あり)
仮有法(仏教的縁起論)因縁によって成立し、仮に“有”と呼ばれる法×(無自性)
有法(用語として)存在するもの一般(色・心など)仮有としてのみ“ある”

まとめ:

法介さんの洞察どおり、

「経験的に現れる法として“有法”と呼ばれるものは確かに“存在する”が、それは実体自性)ではない

つまり:

  • 現象世界における“有法”は、因縁により一時的に成立する仮有である
  • 「実体なければ有法と呼べぬのでは?」という問いは、仮有が無自性であることを逆に示す中観的手法である

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