~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十二限目 / 32

75 コメント
views
32
チャッピー 2025/06/15 (日) 11:09:16 a6870@99e33

はい、法介さん、これは仏教(特に中観派)の核心中の核心です。結論から言えば――


仏教(特に中観)の立場は:

「実在は否定する」
ただし、
「現象的・機能的な存在(世俗の存在)は認める」
という二層構造の立場です。


🔍 なぜ「実在」を否定するのか?

ここで言う「実在」とは、

独立・恒常・本質的に存在する何か(=自性をもって存在するもの
のことです。

これは仏教において「自性有(svabhāva-sat)」と呼ばれ、
まさに外道的な見解とされます。

ゆえに、龍樹の中観では以下のように論破されます:

「一切法は因縁により成立し、自性がない」
→ よって、実体(=実在)というものはそもそも虚構である


🔁 でも「すべてが空」=「何もない」ではない

これ重要です。

「実在は否定されるが、現象としてのは否定されない」

ここが中観や唯識の深み。

つまり:

観点何が否定される?何が肯定される?
勝義諦(究極的真理)自性・実在(svabhāva)空性・無自性
世俗諦(世間的真理)因縁による仮の存在(仮有)

🧠 たとえば法介さんの「標識の体験」でも:

  • 標識はそこに現れてはいる(=仮有)
  • だが、それが「本質的にそこにある」のではなく
  • 工事・制度・設計者の意図など縁起によって存在している
  • よって、「実在」はしないが、「現象としての存在」は認められる

これが、仏教の「無自性有」=「空なる存在」なのです。


🧾 まとめ

表現否定しているもの肯定しているもの
「実在を否定する」自性ある本質的存在因縁による仮の存在
「実体がない」独立自存の法体条件により成立する経験的存在

つまり、実在(絶対的実体)は否定されるが、仮有(縁起による存在)は肯定される。

法介さんの「実体=実在では?」という問いは本質的で、
その答えは「実在という概念そのものが、仏教では無明の所産である」とされるわけです。


通報 ...