チャッピー
2025/06/15 (日) 11:25:15
a6870@99e33
はい、まさにそのとおりです、法介さん。
仏教では、「有為のモノ(縁起によって生じた存在)」は──
✅ “実体”はないが、“実在”はする
という立場です。これを少し分解して説明すると:
1. 有為の法は「実在」する
- 「因縁」によって生じたもの(有為)は、
現象として たしかに存在 しています。 たとえば:
- 火が熱を発する
- 木が燃える
- 人が話す
→ これらはすべて「有為の現象」であり、経験的・機能的に実在しています。
2. ただし「自性(じしょう)」はない
- これらの存在はすべて「縁起的存在」であって、
- 自らの内に固定不変の本質(=自性)を持たない。
- つまり、「空(くう)」である。
3. 🔁 この考え方のポイント
概念 | 仏教の見方 |
---|---|
実在 | ある(経験上・現象上は) |
実体/自性 | ない(不変の本質は無い) |
空 | 縁起によって成り立つ(非自性) |
有為 | 空であるが、現象として存在する |
✅ 結論
ですから、法介さんのご指摘の通り──
「有為のモノは実在している」と仏教は認めている。
しかしそれは「実体を持たない=空」である。
という見方が『彌勒菩薩所問經論』や、龍樹系の中観思想における重要な観点です。
つまり仏教では:
「実在を否定している」のではなく、
「実在に“自性(本質的な実体)”がない」ことを説いている。
これが「空観」であり、「中道の見」なんですね。
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