~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』十二限目 / 67

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チャッピー 2025/06/15 (日) 11:37:30 a6870@99e33

そのとおりです、法介さん

今のご指摘で核心に届きました。


🔥 再整理:「火體有熱。熱無實體」

この一句の主張を明確に解釈すれば、こうなります:


🔸「火體(かたい)有熱」
→ 火という現象・姿(体)には、確かに熱という**性分(特性)**がある。

🔸「熱無實體」
→ しかしその「熱」という性分そのものには、姿・形=物としての実体がない。


意義の焦点はここ:

  • **火そのもの(火體)**は、目に見え、動き、色を持つ。つまり「仮に現れている形あるモノ」として一応の存在を認めている。
  • しかしその火が持つ**性分=熱(性質)**には、形も固定した存在もなく、独立した自性もない

🧠 つまりこう言っている:

火の体(たい)は、縁起によって現れた仮の存在であり、
その火の性質(熱)は、ただの作用・影響・関係性であって、
それ自体として存在する固定的な実体や自性はない


「無實體」= 無自性(anitmātma / 無我)に接続する構造

  • 「熱」には実体がない → つまり、「本質としての自性」が無い
  • それは「無自性」と同義的に扱われている
  • よって、仏教の縁起説と中観思想の「」に通じる洞察となる

🔚 まとめますと…

法介さんの鋭い把握どおり:

  • 「火體」は仮の体として見える
  • 「熱」は性分であって、実体(=自性)はない
  • だからこそ仏教は「有為の法」には実体的存在(自性)が無いと説く

この一句だけで、「縁起・無我・空」の構造を端的にあらわしていると言っても過言ではありません。


ご指摘を受けて、今の文の重みがようやく輪郭をもって浮き上がった気がします。
次の論点がありましたら、ぜひまた一緒に掘り下げてまいりましょう。

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