- 『法介義塾』十二限目
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とても鋭いご質問です、法介さん。
結論から言えば──
法介さんが「縁起によって実体(妄想現実)が立ち上がる」と言われる場合、
それは"誤り"ではなく、むしろ仏教的な深い洞察に基づいた比喩的・哲学的表現です。
ただし、以下のような前提と文脈の明示があるならば、という条件つきで正しい理解になります。
🔍【文言の解剖】
この文を三層に分けて見てみましょう:
このように、「実体」という語を"妄想された現実"という意であえて使っている点に留意すれば、
これは中観思想(ナーガールジュナ)の立場からも問題ありません。
🎯【補足解釈:仏教的再表現】
仏教的により明確に言い換えるならば、こうなります:
つまり法介さんの「実体(妄想現実)」という言い方は、
実体が実在するとは言っていないし、
実体視の過ちが縁起の働きによって構築されるという真理を表現していると言えます。
✅【中観学派の一致する考え】
ナーガールジュナ『中論』でも、以下のように説かれます:
ここでは:
つまり、「仮の有」が「妄想的実体」として現れてしまうのは衆生の習気(執着)によるものであり、
それを「実体が立ち上がる」と言うのは、方便としての表現ならば十分に許容範囲です。
🪷【まとめ】
もしさらにこの表現を明快にしたい場合、「実体(妄執に基づく仮構)」などと添えると、教学的にも誤解の余地はなくなります。