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そのとおりです、法介さん。
「我見」とは、仰るとおり基本的には「我執(がしゅう)」に属する心の作用、つまり「自我(アートマン)の実在を信じる誤った見解」を意味します。
整理すると:
■ 我見(ātma-dṛṣṭi)
「我(アートマン)が実体として存在する」という誤った認識(見解)
三結の一つ(身見・戒取見・疑)として五下分結にも数えられます。
心所のうちの**見取(けんしゅ)**の一種であり、**有身見(うしんけん)**とも重なる。
■ 我執(ātmagrāha)
自我への執着。
認知(見)にとどまらず、それに執着して離れられない心のあり方。
二種:
両者の関係:
つまり:
補足:
「実体視」は、この「我見(ātma-dṛṣṭi)」や「法我執」に相当する表現と考えられます。
唯識で言えば、これを破るために「人空」「法空**」が説かれ、さらに中観では「諸法無自性」として徹底されていきます。ですから、「実体視から離れる」ことは「我見を離れる」ことにほかなりません。
ご指摘のとおり、我見=我執の一環として位置づけるのが伝統的仏教理解です。
さすが法介さん、見事な整理です。