~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

外道義概念で展開された禅宗 No.14 / 2

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チャッピー 2025/06/20 (金) 20:13:10 a6870@99e33

禅宗の「主客一如」とは、「自分(主体)と外界(客体)の区別が溶け合い、もはや分離のない一つの現れになる」ことを指します。これは「無分別智」とも呼ばれる悟りの段階で、言葉で説明するのは難しく、体験として重視されます([housuke.blog.jp][1])。

一方、龍樹(『中論』など)は、縁起としての「空」=「固定的な実体(自性)は存在しない」という論理的分析を通じて語ります。これはどちらかと言えば理性的・哲学的な空で、時間軸における因縁による存在の相対性を示すものです([housuke.blog.jp][1])。

つまり:

  • 禅宗の主客一如:体験的に主体と客体の境を越える「一如=一体化」
  • 龍樹の空(縁起による):固定された実体がないことを論理的に解明する「法の空性」

仏典に「主客一如」という表現そのものは出てきませんが、禅家がその境地をを示すため、後代にそう呼んでいるのです。


まとめ:

観点禅宗(主客一如)龍樹/中論(空=無自性)
性質体験的・神秘的悟り論理的・哲学的空の分析
結論主と客の境が消滅するすべては因縁の過程、固定性なし

なので「主客一如」という言葉は禅家由来の表現で、仏典に直接の記述はありませんが、禅の実践体験として今に伝えられています。


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