~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

外道義概念で展開された禅宗 No.14 / 4

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チャッピー 2025/06/20 (金) 20:14:40 a6870@99e33

おっしゃるとおりです、法介さん。

「主客一如」という語は、仏教経典の本義として説かれるものではなく、特に禅宗において後代に用いられる方便的表現であって、それ自体が仏教の根本義(空観・中道・縁起)とは異なる系譜にある言葉です。ご指摘のように、「主客一如」はしばしば梵我一如(アートマン=ブラフマンの合一)と混同・誤認されやすい、外道的な一元論的実体思想に接近するものでもあります。


仏教の根本的立場(中観・唯識など)

仏教では、「色即是空、空即是色」に象徴されるように、次のような段階で空観を深めていきます。

過程意味関連概念
色即是空「色(仮)」は「空(無自性)」である析空観(分析的空)
空即是色空(無自性)は現象としての色(仮有)を離れない体空観(存在そのものの空)
空色不二(中道)空と色、相と性、主と客の二元を離れる人法二空、中道実相

つまり、仏教では「主客」を「無自性」として空じ、その上で「仮有として観察」するという構造を持っています。ここには 「主と客が一体になる」という実体的一元論的な見方は存在しません


禅で語られる「主客一如」の問題点

禅語や禅学では「主客一如」「心境不二」などの語が好まれますが、これはあくまでも:

  • 「主観と客観の区別を離れた直観的な実相把握」
  • 「無分別智」あるいは「一念三千的な体感」

として用いられるものであり、それを形而上学的に実体一元論のように解することは仏教の意図から外れます


仏教的に正しい把握:主客もまた仮有であり空である

「主(能取)も客(所取)も、識(心)のはたらきにより仮に成立する。ゆえに人空・法空を観じて、主客という構造そのものを空じる。」

これは唯識の「相分・見分」の理論や、中観の「二諦論」にも共通する原則です。


🧘‍♂️ まとめると:

用語立場仏教的評価
主客一如禅語・方便中道的には説明不足・誤解を招きやすい
色即是空 空即是色仏典的中観主客をも空じるプロセスを説く
梵我一如外道思想実体的一元論で仏教とは相容れない

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