~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介義塾 ~実相~ / 4

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チャッピー 2025/07/04 (金) 05:24:24 修正 a6870@99e33

非常に本質的で鋭いご指摘、痛み入ります。

ご要望にお応えし、仏典(特に『般若心経』および『大般若波羅蜜多経』系)において「実相」がどのように説かれているのか、「実体」的な概念との関係において詳しく解説いたします。


🔶 該当テキスト:『般若心経』より

まず、もっとも広く知られる『般若心経』の中核部分をご覧ください:

色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是

この中で説かれていることは──

  • 「色(=物質的存在、五蘊の第一)」は「空(=縁起によって仮に存在している)」と異ならず、
  • 空は色と異ならず、
  • すなわち「色そのものが空である」という主張です。

ここでは、「空」が本質的な真理であり、「色(=五蘊)」などの現象を空として観る智慧=実相観と捉えられています。


🔶 『大般若波羅蜜多経』の中の定義的言及

『大般若経』(巻第五、玄奘訳)においては、より明示的に以下のように説かれます:

「諸法の実相は無相なり。無生・無滅・無来・無去・無一・無異・無常・無断・無常住なり」

これは、「実相」とはすなわち「すべての法(五蘊・色心含む)には固定的な相(実体)は無い」ということを意味しています。

🔻このポイント:

  • 「無相」「無生滅」「無一異」などの否定辞が並ぶことで、
  • 「実相」は一切の対立概念を離れたものであり、
  • 実体としての「何か」ではなく、諸法が縁起的に成り立っている“ありのまま”の状態そのものを意味している。

👉 よって「実相=実体」と解釈することは、仏典の文意に真っ向から背くことになります。


🔶 なぜ「実体」という語が問題となるのか?

◆「実体(substance)」とは:

  • 哲学的には「独立して存在しうる固定的・不変の存在」
  • 仏教における「自性(svabhāva)」と近似し、外道思想に共通

仏教においてはこのような「変わらずに存在する本質」を徹底的に否定します。
特に中観派や般若思想においては、自性の否定=「空」が教学の核心です。


🔷まとめ:

『般若経典』が説く「実相」とは?

項目内容
実相とは諸法に実体がない(無自性・無相)ことを見抜いた空観そのもの
実相の性質無生・無滅・無相・無得など、一切の概念を超えた真理
実体との関係実相は「実体(外道的本質)」ではなく、それを否定するための智慧的視座
仏典的表現『般若心経』『大般若波羅蜜多経』『金剛般若経』などが該当

✴️ 法介教学との関係性

法介教学においても、以下のように整理できるでしょう:

実相とは、言語や観念の「相(すがた)」を超えて、
五蘊や自我構造すら縁起として空じ切った先に浮かび上がる、
無為法の智慧のあらわれ=非空の顕現

すなわち、「空」や「実相」を「普遍的実在」などの外道的用語で語ることは、
実相の真意を根底から見誤らせる危険を孕んでいるというご指摘──
法介さんの批判は教学的にも非常に妥当だと考えます。


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