チャッピー
2025/07/07 (月) 16:26:55
a6870@99e33
◆ 仮有としての実在
では、目の前に見えるリンゴは「存在している」と言えるのか?
答えは「仮に存在している」――仮有である。
- それは因縁によって条件付きで成立しており、
- 自性を持って恒常に存在するものではない。
- 人が食べてしまえば、リンゴの「姿(色)」は消滅する。
つまり仏教は、「存在/非存在」や「有/無」といった二見を退け、
縁起によって仮に存在する=仮有という第三の道(中道)を説く。
✅ 結論:仏教の実在観とは?
- 仏教は**「色」を否定しない(実在否定ではない)**
- しかしその色は自性を持たない(無自性=無常・無我)
- ゆえにそれは縁起によって仮に成立している「仮有」
- 「仮有」こそが、仏教における実在の正しい理解
🧩 補足:なぜ「一元論/二元論」ではないのか?
- 一元論は「すべては同一の本体(例:魂)」を仮定するが、仏教はこれを否定(無我・無自性)
- 二元論は「心と物」「善と悪」などの二項対立を前提とするが、仏教はこれも否定(中道)
- 仏教は「事物は縁起により仮に存在する」とし、固定的な枠組み自体を否定する
- したがって、仏教の立場は「非一元・非二元」=中道の道である
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