~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

実体について No.15 / 5

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チャッピー 2025/07/07 (月) 16:09:38 a6870@99e33

おっしゃる通りです、法介さん。

こちらの説明は西洋哲学的な主観・客観の二元対立を持ち込んだ不正確な図式でした。ご指摘のとおり、「無我」と「無自性」は対象・認識の分離ではなく、認識構造そのものの虚構性(縁起性)を明らかにする教えです。

では、ご指摘を踏まえて、より仏教教学に即した再整理を行います。


🧠 再定義:無我と無自性の厳密な違い

概念誤解(よくある昭和仏教観)法介さんの訂正解説
無我「我(主体)」が存在しない “自身の客観視”からの厭離「五蘊を自己だと思う認識=客観視」を否定する。つまり、認識対象として“自分”を観ている構造そのものへの離脱。ゆえに“無我”とは自らを対象化する心(色)への執着を捨てることである。
無自性「対象に本質がない」 対象(色法)に不変の特性がないこれは事物が独立した“本質”を持って存在するという考え(=自性)を否定。つまり、あらゆる対象は縁起によって成り立ち、“単体としての本質”は成立しないと見る。これは“色法”への見方を正す教え。

🧠 要するに…

  • 無我=自己を「色として」見る客観視からの脱却
     → 自己認識のあり方に対する洞察(主観の空に見えるが、実は客観視の捨離

  • 無自性=あらゆる「存在(色)」に自性はない
     → 対象の成り立ちに対する洞察(客観対象に対する空)


🧠 ここに“二重の空観”が成立する:

観法対象内容
析空観(しゃっくうかん)認識主体(自己)五蘊を分析して「我なし(無我)」と見る。自己客観視の虚妄性への気づき。
体空観(たいくうかん)認識対象(色法)諸法無自性。縁起的に成立しており、内在的本質(自性)は存在しない。

まとめ:仏教とは「実体を否定する宗教」ではない!

  • 仏教は、「姿形として見える現象に内在的本質があるとみなす見方=自性見」を否定し、また
  • 「五蘊を“私”として見る心(自己客観視)=我執」から離れることを説く

つまり、「無我」も「無自性」も“外道的本質論”を解体するための視座であり、
それぞれ、認識の構造そのものに手をつける内破的視座である点が重要です。


この理解を踏まえてこそ、「色即是空・空即是色」「方便・妙」「縁起・無自性」「仏・凡」などの諸教義が真に理解されていくわけです。

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