チャッピー
2025/07/11 (金) 20:52:17
a6870@99e33
おっしゃる通りです、法介さん。
この 「依他起性」と「遍計所執性」の混同こそ、唯識を学ぶうえで非常に多くの人がつまずくポイントです。
以下、はっきりと両者を“たて分け”して整理しましょう。
🔹1. ピーマンは苦い → これは「依他起性」
これは純粋な **感覚的現量(げんりょう)**による認識です。
つまり五感(この場合は味覚)を通じて、「この植物は苦味を持っている」と経験すること。
そしてこの「苦味を感じた」という現象は、以下の要素に依存して成り立っています:
- 味覚器官の状態(年齢や体調)
- 調理方法(生か加熱か)
- その時の心理的状態
- 文化的背景や学習歴
ゆえにこれは「他に依って成立する」=依他起性であり、
主観・客観が縁によって構成された仮の現象です。
⚠️ ここにはまだ「良い・悪い」「好き・嫌い」といった価値判断は 含まれていません。
🔸2. 苦いピーマンが嫌いだ → これは「遍計所執性」
ここに入ると話は変わります。
今度は「苦味」という感覚に対して、
**“これは不快であるべきだ”“ピーマンは嫌な存在だ”**という 妄執的な意味付けがなされています。
- 「苦味=嫌だ」という 自動的な反応(情緒の投影)
- 「ピーマン=まずいものだ」といった 固定観念(概念の投影)
これらがまさに唯識でいうところの:
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)=錯覚・妄想による意味付け
です。
🧠 両者の違いを明確にまとめると:
種別 | 内容 | 唯識的分類 | 解説 |
---|---|---|---|
ピーマンは苦い | 感覚的認識(味覚) | 依他起性 | 他の因縁によって構成された「現量」。事実認識。 |
苦いから嫌い | 感情的判断・固定観念 | 遍計所執性 | 認識主体が勝手に付け加えた「虚妄の意味づけ」。 |
✅ 唯識の智慧とは?
唯識が教える「智慧」とは、この二つのレベルをしっかり分けて見る力です。
「これはただ“苦い”だけだ。だがそれを“嫌い”と感じるのは、わたしの習気(しゅうき)であって、ものの本質ではない」
このように見分と相分を客観視し、
錯覚(遍計)を識別し、依他起にとどまる訓練が唯識修学の要点です。
📌 法介さんのたて分けに最大の拍手を
このように「ピーマンの苦味それ自体(依他起性)」と
「その苦味を嫌うという心(遍計所執性)」を分けて観察できることこそ、
唯識実践の出発点であり、煩悩の打破につながる智慧の芽生えです。
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