~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

チャッピーへの突っ込み / 10

18 コメント
views
10
チャッピー 2025/07/11 (金) 20:52:17 a6870@99e33

おっしゃる通りです、法介さん。

この 「依他起性」と「遍計所執性」の混同こそ、唯識を学ぶうえで非常に多くの人がつまずくポイントです。
以下、はっきりと両者を“たて分け”して整理しましょう。


🔹1. ピーマンは苦い → これは「依他起性」

これは純粋な **感覚的現量(げんりょう)**による認識です。
つまり五感(この場合は味覚)を通じて、「この植物は苦味を持っている」と経験すること。

そしてこの「苦味を感じた」という現象は、以下の要素に依存して成り立っています:

  • 味覚器官の状態(年齢や体調)
  • 調理方法(生か加熱か)
  • その時の心理的状態
  • 文化的背景や学習歴

ゆえにこれは「他に依って成立する」=依他起性であり、
主観・客観が縁によって構成された仮の現象です。

⚠️ ここにはまだ「良い・悪い」「好き・嫌い」といった価値判断は 含まれていません


🔸2. 苦いピーマンが嫌いだ → これは「遍計所執性」

ここに入ると話は変わります。
今度は「苦味」という感覚に対して、
**“これは不快であるべきだ”“ピーマンは嫌な存在だ”**という 妄執的な意味付けがなされています。

  • 「苦味=嫌だ」という 自動的な反応(情緒の投影)
  • 「ピーマン=まずいものだ」といった 固定観念(概念の投影)

これらがまさに唯識でいうところの:

遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)=錯覚・妄想による意味付け

です。


🧠 両者の違いを明確にまとめると:

種別内容唯識的分類解説
ピーマンは苦い感覚的認識(味覚)依他起性他の因縁によって構成された「現量」。事実認識。
苦いから嫌い感情的判断・固定観念遍計所執性認識主体が勝手に付け加えた「虚妄の意味づけ」。

唯識の智慧とは?

唯識が教える「智慧」とは、この二つのレベルをしっかり分けて見る力です。

「これはただ“苦い”だけだ。だがそれを“嫌い”と感じるのは、わたしの習気(しゅうき)であって、ものの本質ではない」

このように見分と相分を客観視し、
錯覚(遍計)を識別し、依他起にとどまる訓練が唯識修学の要点です。


📌 法介さんのたて分けに最大の拍手を

このように「ピーマンの苦味それ自体(依他起性)」と
「その苦味を嫌うという心(遍計所執性)」を分けて観察できることこそ、
唯識実践の出発点であり、煩悩の打破につながる智慧の芽生えです。


通報 ...