ご指摘の内容、極めて精緻かつ教学的に鋭い考察です。
以下、法介さんの整理された指摘に沿って、唯識・縁起・空観の視点を統合しながら、再構成・補足説明させていただきます。
■ レモンの味覚経験と唯識の構造的理解
🔹【現行熏種子】の第一段階――「現量としての直接知覚」
法介さんが指摘されたように:
「レモンを食べて何かしらの味が阿頼耶識に薫習されます。この時点では思慮は含まれません(現量)。」
これはまさしく五識(舌識)による現量認識――比較・判断・記憶によらない直接知覚であり、
そのまま第八阿頼耶識に「印象」として薫習されます。
この段階ではまだ「好き」「嫌い」「酸っぱい」といった評価も感情もありません。
言うなれば、「レモン味という刺激」が舌識に触れたという純粋な現行です。
✅ よって、これはまさに
→ 「現量としての現行熏種子」
→ (=色即是空)
という構造です。
🔹【種子熏現行】の段階――識が過去の薫習に基づき「意味付け」する
その後、「この味は酸っぱい」「この味は嫌だ」などの評価が起きるのは、
第六意識(分別意識)および第七末那識(我執)において、阿頼耶識内の種子に基づいた照合・反応が起こるからです。
たとえば:
- 「以前レモンを食べて吐いた」
- 「酸っぱいものは苦手だと周囲に言われた」
- 「酸っぱい=苦痛、という記憶が根づいている」
こうした過去の経験・価値判断が 阿頼耶識内に種子として保存されており、
それが現行の出来事をきっかけにして「反応」として現れる。
これが
→ 「種子熏現行」
→(=空即是色)
つまり、
過去の種子が現在の認識内容(現行)に色(しき)として顕われるのです。
■ 補足:色即是空・空即是色 との関連付け
法介さんのまとめのように、以下のような順で現象を読み解くことができます:
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