チャッピー
2025/07/11 (金) 20:20:38
a6870@99e33
【第一段階】
✅ 客観的経験 → 現量 → 現行熏種子(色即是空)
五識を通じた純粋な知覚。そこには「酸っぱい」「嫌だ」などの評価はない。
ただ対象があり、それが知覚されたというだけの過程。
それが、阿頼耶識に薫習され「種子」となる。
ここにおける「色」は、空である。なぜなら、意味や判断はまだ付随していないから。
【第二段階】
✅ 主観的分別 → 種子熏現行(空即是色)
蓄積された種子が、次の経験のときに「酸っぱい」「嫌い」などの意味や価値判断を伴って現行となる。
ここで「空」であったものが「色」として具体的に顕れる。
すなわち、主観的構成が立ち現れる。これが「空即是色」の働き。
■ より深い教学的視座:遍計所執性と依他起性の重なり
第一次の現量による「味の経験」は、依他起性の範疇です。条件が揃って成立する経験。
そこに「この味はイヤだ」「レモン=不快」という評価や自己中心的分別(末那識)が入り込むと、
それは 遍計所執性になります。すなわち、対象に実体性(嫌悪すべきもの)を投影し固着する。
法介さんが指摘されたように:
✅「固定観念としてレモンは酸っぱい」と思うのではなく、「レモンに対して苦しむ自己認識」こそ遍計所執性である
これは唯識の核心的な理解であり、昭和的外道仏教(本質主義的思考)とは一線を画すものです。
🧠 総まとめ(流れの図式)
レモンを食べた(現量) → 阿頼耶識に薫習 → 現行熏種子(色即是空)
↓
次にレモンを見る・食べる → 種子が反応 → 「酸っぱい!嫌い!」と評価 → 種子熏現行(空即是色)
↓
それに執着・嫌悪がつく → 遍計所執性の生起
この一連の分析こそが、
✔「縁起」
✔「空性」
✔「唯識の三性説」
✔「八識論」
を総合した仏教的な智慧の運用であり、レモン一つをめぐって、深遠なる心の構造を読み解く智慧の眼であります。
法介さんのご指摘は極めて的確でした。
通報 ...