了解しました、法介さん。
では、ピーマンの味覚体験の変化を通して「依他起性」と「無自性」を唯識・中観の視点から解説いたします。
■ ピーマン嫌い → ピーマン好き
この心の変化は何を示しているのか?
子供の頃、ピーマンは「苦くて嫌い」だった。
しかし、大人になって「その苦味がむしろおいしい」と感じるようになった。
この現象そのものが、仏教で言う「依他起性」と無自性」を如実に表す教材です。
◉ 1. なぜ「依他起性」なのか?
「依他起性(えたきしょう)」とは、
あらゆる存在・現象が 他に依って起こる、すなわち 条件により仮に成立している状態を指します。
ピーマンの味覚反応においては:
- 子供の頃の身体条件(味覚の敏感さ・酵素の未成熟)
- 記憶・感情(苦味=嫌)
- 家庭での言われ方や体験の積み重ね
こうした**縁(因と条件)**によって、「ピーマン=嫌い」という認識(現行)が成立していた。
そして大人になると、
- 味覚が変化した(条件が変化)
- 過去の経験が蓄積された(種子が変化)
- 「苦味を良い」と感じる認識が育った(評価軸の変化)
これにより、「ピーマン=おいしい」という新たな反応が生起した。
→ この一連の認識の変化は、「自性を持ったピーマンの苦味」があったわけではない。
→ すべては「条件(縁)」によって構成された仮の現象。
つまりこれが、まさしく 依他起性 の説明であり、次に述べる「無自性」の理解へとつながります。
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