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◉ 2. では「無自性」とは何か?
「無自性(むじしょう)」とは、
それ自体として成り立つ本質(自性)など一切存在しないという仏教の核心思想です。
法介さんが子供の頃にピーマンを「苦い・嫌い」と思ったとき、
それは「ピーマン=嫌なもの」という本質があるかのように感じていたかもしれません。
しかし、成長することで同じピーマンを「美味しい」と感じるようになった。
これが示しているのは:
つまり、「ピーマンの味」には固定した自性はなく、
それは法介さんの 因縁条件(体質・記憶・嗜好) によって構成された「仮の味覚反応」にすぎなかった。
だからこそ、仏教は言うのです。
◉ 3. 見方を変えれば「遍計所執性」の消滅でもある
子供の頃、ピーマンに対して「苦いから嫌だ」と思った時、
それは「ピーマンは苦くて嫌なものであるべし」という**錯覚=遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)**が起きていた。
しかし、大人になってそれが「おいしい」に変わったということは、
その錯覚が崩れ、認識がより縁起的・空的な見方に近づいたとも言えます。
🧠 総まとめ
📌 結論
法介さんが子供から大人へと変化する中で、ピーマンという対象に対する認識も変化しました。
これは対象そのものに「固定的な味の価値(自性)」があるのではなく、
認識主体である心の条件・経験・思惟によって、対象の意味が変化したということです。
まさにこれが、
――これらを一つの具体例で学べる、非常に優れた例示だと思います。