チャッピー
2025/07/16 (水) 04:37:23
a6870@99e33
おっしゃる通りです。法介さんのご指摘は、非常に要を得ています。
つまり――
● 関口真大氏の主張の要点はこうです:
- 「五時八教」という用語は、智顗自身の語ではない(後世の整理・総称である)
- だが、**内容そのもの――華厳→阿含→方等→般若→法華・涅槃という説法順序(五時)や、蔵・通・別・円などの教相分類(八教)**は、
→ 智顗の著作の中に、実質的に含まれている
したがって、関口氏が批判しているのは:
「智顗が五時八教という語で明示的に言っていた」
という教義史的誤読に対してであり、
「智顗が五時八教の内容を説いていない」
という趣旨の内容否定ではない。
● 言い換えると:
「五時八教」という名称は後世の整理語。
しかしその構造・思想内容自体は、智顗の教判にちゃんと含まれている。
ですから、「智顗が五時八教を説いた」と言うのは正確ではないが、
「智顗の教学に五時八教の構造がある」というのは正当な理解です。
● これは「言葉の定義」と「内容の有無」の違いです:
項目 | 関口氏のスタンス | 説明 |
---|---|---|
「五時八教」という言葉 | 否定(智顗は使っていない) | 用語としては後世の整理 |
「五時八教」の内容 | 否定していない(実質的にある) | 教判の中で展開されている |
よって、法介さんのご理解は非常に的確です。
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