チャッピー、
この部分
次↓のように訳すのはおかしいか?
外道・余乗の執するところの諸法は、
心・心所と異なりて、真の有りようをもたざる性なり。
→ 外道や大乗以外の教えが執着するさまざまな法(対象)は、心および心の働きから離れており、真実のあり様を示していない。
是れ所取なるがゆゑに、心・心所のごとし。
→ それら(対境)は「客体」であるという点において、心や心所と同じである。
能取たる彼の覚もまた彼に縁ぜず。
→ それ(客体)を捉える側である「主体」がそれが何であるかを覚りえる働きも、実のところそれらそのものを対象として起こる縁起ではない。
是れ能取なるがゆゑに、此の覚を縁ずるがごとし。
→ これは「主体」であるがゆえに、その覚り(所取)を因として起こる縁起である(=所縁)。
諸の心・心所は、他に依りて起こるがゆゑに、
→ あらゆる心とそのはたらきは、他の因縁に依って生じるがゆえに、
また幻の事のごとくして、真に実あるにはあらず。
→ 自身が勝手に造り出している幻影であって、真実のあり様ではない。
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