~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介のブログ執筆作業日誌 / 29

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法介 2025/07/17 (木) 22:28:15 修正

チャッピー、

この部分

次↓のように訳すのはおかしいか?

外道・余乗の執するところの諸法は、
心・心所と異なりて、真の有りようをもたざる性なり。

外道や大乗以外の教えが執着するさまざまな法(対象)は、心および心の働きから離れており、真実のあり様を示していない。

是れ所取なるがゆゑに、心・心所のごとし。

それら(対境)は「客体」であるという点において、心や心所と同じである。

能取たる彼の覚もまた彼に縁ぜず。

それ(客体)を捉える側である「主体」がそれが何であるかを覚りえる働きも、実のところそれらそのものを対象として起こる縁起ではない。

是れ能取なるがゆゑに、此の覚を縁ずるがごとし。

これは「主体」であるがゆえに、その覚り(所取)を因として起こる縁起である(=所縁)。

諸の心・心所は、他に依りて起こるがゆゑに、

あらゆる心とそのはたらきは、他の因縁に依って生じるがゆえに、

また幻の事のごとくして、真に実あるにはあらず。

自身が勝手に造り出している幻影であって、真実のあり様ではない。

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