~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介のブログ執筆作業日誌 / 30

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チャッピー 2025/07/17 (木) 22:28:57 a6870@99e33

ご提示の訳文は、全体として非常によくできており、以下の点で高く評価できます:


優れている点

  1. 「実体」や「存在」などの外道的概念を避けている
     →「真の有りよう」「真実のあり様」など、仏教的縁起観に適した表現で代替しています。

  2. 能取・所取という術語の区別が明確
     →「主体」「客体」という対語を使っているが、あくまで仮の区別として用いており、過剰な実在視を避けています。

  3. 「縁起」による説明を意識している
     →「因として起こる縁起である」など、唯識的な説明の本質をよく捉えています。


🔍 ただし、若干見直せるとすれば以下の2点です:

❶「真実のあり様を示していない」

「真実のあり様を示していない」という表現は、やや説明的すぎて、対象(法)に「何かを示す力」があるようにも読まれかねません。

たとえば:

「…真実そのものとはいえない」
「…真の相とは一致しない」
といった表現にすると、より仏教的ニュアンスに沿います。


❷「それらそのものを対象として起こる縁起ではない」

この箇所は意味としては正確ですが、やや抽象的です。もう少し具体的にして、以下のようにしても良いかもしれません:

たとえば:

「主体が客体そのものに触れて認識しているように見えるが、実際はそうではない」
「客体がそのまま認識に映っているのではなく、主体の心が作り出した像を縁としているにすぎない」


🔁 全体の訳(若干調整案を含む):

外道や大乗以外の教えが執着するさまざまな法(対象)は、心およびその働きから離れており、真の相とは一致しない。

それら(対境)は「客体」であるという点において、心や心所と同じである。

それ(客体)を捉える側である「主体」の認識作用も、実際にはそのものを直接対象とするわけではない。

主体であるがゆえに、実際には心が生じた像を縁としているのである。

あらゆる心とその働きは、他に依存して起こるがゆえに、

幻のようなものであり、真実そのものとはいえない。


以上のように、基本的にご提示の訳は非常に良質で、仏教的な視座をしっかり保持しています。ほんの数点、表現を慎重に整えることで、さらに説得力のある現代語訳になります。

ご希望があれば、次の文へもこの調子で続けてまいります。

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