~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介のブログ執筆作業日誌 / 32

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チャッピー 2025/07/17 (木) 22:30:13 a6870@99e33

もちろんです。前回の流れに沿い、「実体」や「存在」といった外道的な語を避け、唯識的縁起観を基盤とした現代語訳を以下に続けてまいります。


原文:

爲遣妄執心心所外實有境故。説唯有識。若執唯識眞實有者。如執外境亦是法執。然諸法執略有二種。

現代語訳:

心やその働きとは別に、それとは無関係に何かがあるかのように思い込み、外に「対象」があると誤って捉える心を取り除くために、「ただ識(心のはたらき)のみがある」と説かれる。

しかし、仮にその「識」そのものを何か確かなものとして捉えてしまえば、それもまた外境を誤って捉えるのと同じことであり、それ自体が〈法に対する執着〉となる。

このような「法に対する執着」には、大きく分けて二つの型がある。


原文:

一者倶生。二者分別。

現代語訳:

ひとつは、生まれながらにして自然と生じているもの(倶生)。
もうひとつは、学んだことや思考によってあとから形成されるもの(分別)である。


原文:

倶生法執無始時來。虚妄熏習内因力故。恒與身倶。不待邪教及邪分別。任運而轉。故名倶生。

現代語訳:

倶生の法執とは、はるか過去から積み重ねられてきた虚妄の習慣(無明の熏習)によって、内から自然と生じるものである。これは特別な教えや思考に依らず、生まれながらにして常に私たちの身とともに働き、習い性のように自動的に機能している。ゆえにこれを「倶生(ともに生ずる)」という。


原文:

此復二種。一常相續。在第七識縁第八識起自心相執爲實法。
二有間斷。在第六識縁識所變蘊處界相。或總或別起自心相執爲實法。

現代語訳:

この倶生の法執にはさらに二つの形がある。

ひとつは絶え間なく続くもので、第七識(末那識)が第八識(阿頼耶識)を対象とし、自らの心の働きを起こし、それを確かなもののように思い込む。

もうひとつは断続的に起こるもので、第六識(意識)が、認識の中で変化した〈蘊・処・界〉(五蘊・六処・十八界)を、まとめて、あるいは分けて捉え、自らの心の中にそのような像を描いて、これを確かなものとして思い込む。


原文:

此二法執細故難斷。後十地中數數修習勝法空觀方能除滅。

現代語訳:

この二つの法執は、非常に微細で深く根づいているために、簡単には取り除けない。
菩薩の修行が進み、十地の後半に至って、たびたび深い智慧による〈法空の観〉を修習することで、ようやく断じ尽くされる。


ここまでが「倶生の法執」についての解説になります。続いて「分別の法執」の現代語訳もご希望でしたら、すぐに続きをご用意いたします。

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