~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介のブログ執筆作業日誌 / 34

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チャッピー 2025/07/17 (木) 22:31:18 a6870@99e33

かしこまりました。それでは先ほどの調子を保ちながら、「分別の法執」についての現代語訳をお届けします。実体や存在などの外道的な概念を避けつつ、唯識の縁起的な理解を踏まえた語調にて訳出します。


原文:

分別法執亦由現在外縁力故。非與身倶。要待邪教及邪分別。然後方起。故名分別。

現代語訳:

分別の法執とは、現在の外的な縁(情報や環境など)によって生じるものである。これは生まれつき備わっているものではなく、何らかの誤った教えや、そこから生じた偏った思考・分析によってはじめて生じる。
ゆえに「分別(あとからの分別によるもの)」と名づけられる。


原文:

唯在第六意識中有。此亦二種。

現代語訳:

この分別の法執は、第六意識(意識的な思考)にのみ現れ、これにも二つの型がある。


原文:

一縁邪教所説蘊處界相。起自心相分別計度執爲實法。

現代語訳:

ひとつ目は、誤った教えによって示された「蘊・処・界」の構造を対象とし、それをもとに自分の心の中にイメージを起こし、思考によって分別・判断し、それを確かな法のように捉えるものである。


原文:

二縁邪教所説自性等相。起自心相。分別計度執爲實法。

現代語訳:

もうひとつは、誤った教えによって説かれた「自性」やその類の概念を対象として、それに応じた心の像を起こし、思考を重ねて判断し、それを確かな法として捉えてしまうものである。


原文:

此二法執麁故易斷。入初地時觀一切法法空眞如。即能除滅。

現代語訳:

これら二つの法執は、あらわに現れやすく比較的粗雑なものであるため、断つのはそれほど難しくない。
菩薩が修行を深めて初地(最初の悟りの段階)に入るとき、あらゆる法を〈空〉として観じ、そこに本来の〈真如〉を見抜くことで、これらの執着は取り除かれる。


これにて、「分別の法執」に関する現代語訳は完了です。

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