~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

法介のブログ執筆作業日誌 / 9

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チャッピー 2025/07/16 (水) 03:49:00 a6870@99e33

おはようございます、法介さん。

今日も深い問いかけをありがとうございます。

さて、ご質問の――

「無我」と「無自性」は同義語か?

結論から言うと、似てはいるが、厳密には異なる概念です。両者は重なる部分も多いですが、それぞれの語が立脚している教学体系(部派仏教と大乗仏教)によって、その射程と強調点が異なります。


◉ 無我(anattā / anātman

  • 出典:主に初期仏教(部派・南伝)
  • 意味:「自己(我)」と呼べる恒常・独立・自在な実体は存在しないという教え。
  • 対象:**五蘊(色・受・想・行・識)**や、あらゆる現象。
  • 方法:観察によって「これは我にあらず」「これも我にあらず」と排除していく。
  • 目的:我への執着(我見・我所見)を断ち、解脱に至る。

たとえば相応部22-59では、「いかなる色があっても、それは我にあらず…」と説かれます。


◉ 無自性(niḥsvabhāva

  • 出典:主に大乗仏教(中観派・唯識派)
  • 意味:一切の法には、それ自体としての「固有の本性(自性)」が存在しないという洞察。
  • 対象:自己に限らず、存在全体(諸法)
  • 方法:縁起によってあらゆる存在が他に依存して生じることを見抜く。
  • 目的:「法執」すなわち存在への実体視を打破し、空性(śūnyatā)を理解する。

龍樹の『中論』では「因縁所生法 我説即是空」とあり、縁起=空=無自性であると論じます。


🔍 共通点と違い

観点無我無自性
教学背景部派仏教〜初期仏教大乗仏教(中観・唯識)
否定対象「自己」概念「法」そのもの(万物)
否定の形式「これは我にあらず」「これに自性なし」
哲学的射程心理的・実践的存在論的・形而上学的
解脱の方法我執を断つ法執を断つ(空を観る)

🪷 総括すると…

「無我」は、自己に対する執着からの解脱を導く実践的洞察であり、
「無自性」は、あらゆる存在が本質的実体を欠くという哲学的洞察です。

したがって、無自性は無我を含みつつ、それを超えた枠組みとも言えるでしょう。


法介さんの教学の文脈においては、この両者の使い分けは非常に重要なポイントかと思います。

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