小川で読み解く「不垢不浄」と五蘊の働き
1. 此縁性縁起(客観の成立)
山間に小川が流れているとします。
雨が降り、大地を伝い、水が集まり、谷間を流れ下る――この物理的な流れは、因と縁が整って生じた現象です。
ここには「美しい」も「汚い」もなく、ただ条件に応じた色(物質的現象)が現れているだけです。
五蘊で言えば 色 の段階。
唯識で言えば「外境」としての現象が成立している状態。
2. 外境が心に入る(受)
その小川の姿は、眼識によって認識され、阿頼耶識に薫習されます。
ここでも、まだ「美しい/汚い」という評価はありません。
ただ、外の現象が心に入力されるだけです。
五蘊で言えば 受(感受作用)
ここまでは「色即是空」――現象はただ縁起として現れた空なるもの。
3. 阿頼耶識から主観が立ち上がる(想・行)
薫習された情報は阿頼耶識の種子となり、ある条件(天気、体調、過去の記憶、文化的背景など)と縁起して再び現行します。
ここで「清らかで美しい川だ」とか「濁って汚い川だ」という想(イメージ形成)が起こります。
その評価に伴って「もっと近くで見たい」「離れたい」という行(意志作用)も動き出します。
この段階は「空即是色」――心の条件が形を与えた主観的世界が立ち上がる。
4. 主観が確定し、再び記憶へ(識)
第六識(意識)が「美しい」「汚い」と判断した内容は再び阿頼耶識に保存されます。
この記憶は次に似た状況に出会ったとき、新たな評価や感情を生む因となります。
五蘊で言えば 識(認識作用)
ここまでが一周すると、また次の因縁のサイクルが始まる。
為人悉檀での「不垢不浄」解釈
小川が「汚い」と見える人にも、「清らか」と見える人にも、その評価は固定的な実体ではなく、心の条件と外の条件の縁起によって立ち上がっていると説く。
これにより「垢」や「浄」への執着や嫌悪から離れ、どちらも相対的で仮の現れにすぎないと気づかせる。
この気づきが、心を自由にし、柔らかくする。