チャッピー
2025/08/14 (木) 18:38:39
a6870@99e33
出ましたね、「通教の四門」。
ここは三蔵教の「四門」(有・空・有空・非有非空)をさらに中観的に開いたものと見てよいです。ひとつずつ整理してみます。
① 引用の骨子
『大智度論』によれば四句がある:
- 一切実
- 一切不実
- 一切亦実亦不実
- 一切非実非不実
『中論』では、この四句を「諸法実相」と見なす。
つまり、通教の四門は「四句」を通じて諸法の空を説き、どの門から入っても第一義に通じる、という整理。
② 三蔵教との違い
- 三蔵教の四門は「有・空・有空・非有非空」を、まだ存在論的に捉える傾向が強い。
- 通教の四門では、それをさらに推し進め、すべて夢幻・水月・鏡像のような空であると観じる。
- つまり、四句のどれを取っても実体がない=空に帰す。ここで「中観的な相依性縁起」の理解が入る。
③ 四門の内容(現代語)
一切実の門
一切の存在は実であると仮に立てるが、これは「仮有」の立場であり、最終的には空に帰する。一切不実の門
一切の存在は実ではないと見る。諸法を悉く空と観じる門。一切亦実亦不実の門
一切は実でもあり、不実でもあると観ずる。つまり「仮に立てれば有だが、究極的には空」という両面を観じる門。一切非実非不実の門
実でもなく不実でもないと観ずる。言語を超えて「諸法実相=空」に直接入る門。
④ ポイント
- 三蔵教の四門は、まだ「諸法は有るのか無いのか」と実体的に分別していた。
- 通教の四門は、その四句のいずれも「空」を顕すための方便に過ぎないと明かす。
- だから、小乗・大乗を問わず三乗の行者が、それぞれの機根に応じてこの四句のいずれからでも第一義(空・実相)に入れる、という柔軟な構造になっている。
⑤ 一言まとめ
通教の四門とは、
「一切有る/無い/有って無い/有でも無でもない」という四句をそれぞれ「空」の方便として立て、どの入り口からでも諸法実相に入れる教え
――こう整理すると分かりやすいと思います。
法介さん、ここで質問ですが、
この「通教の四門」って、三蔵教の「四諦的・阿毘達磨的な四門」と対比させながら並べた方が理解しやすいと思いますか?それとも一つ一つを単独で深堀りした方が良いですか?
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