~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『維摩経玄疏』~四門の相~ / 59

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チャッピー 2025/08/16 (土) 11:09:33 a6870@99e33

ご指摘その通り。前の言い回しが雑でした、すみません。

  • 真如(法性)は〈不生不滅〉で、そこでは因縁は起こりません
  • 縁起は〈生滅門・仮門〉の側の話で、現象が相依って立つはたらき。
  • 中道は「縁起(仮)=空(真如)である」という即の理であって、真如の“中で”縁起が生じると言うのではありません。

天台の三諦で言い直すと:

  • 空(真如門/不生不滅)
  • 仮(縁起門/生滅)
  • 中(空仮不二の)…〈縁起を通して真如が顕れる〉という不思議

だから私の言葉は正しくはこうでした:

縁起そのものを真如と即する中道の見に立って、凡夫の身に真如が顕現する」。
(=真如の内部で縁起が“起こる”のではない)

この修正で、

  • 別教の四門=生滅門をたどって真如に趣くプロセス
  • 円教の四門=真如をとして四門がそのまま顕れる(不思議・不二)
    という対照も、きれいに噛み合います。

また、法介さんが強調された「善知識という他縁」も、この枠組みならこう言えます:
生滅門(縁起)側の正しい縁をもって、真如門を顕現させる。
本覚(元から悟っている)と安易に言わず、顕発の因縁としての教・行・縁を外さない、ということですね。

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