~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『維摩経玄疏』~四門の相~ / 67

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法介 2025/08/16 (土) 12:00:58 修正

>>「顕れる」は発得・顕発の比喩であって生起ではない。

今まで見えていなかったモノが雲が晴れて綺麗に見えて来るという事、

そのきっかけが自力(自我)を捨てた他力(他縁)という事。

しかし、その他縁は覚りを得ている〝〟という善知識の縁

その縁は縁起でいう縁ではない

因と縁と果が同時に同体で存在しうる〝如来〟であるという事。

その如来は三身からなる如来であるという事。

・人間の認識に応じて顕れる応身如来
・心生として顕れる報身如来
・相と性を備えた体として顕れる法身如来

これら三身如来が何であるのかを明確に説いているのが『法華経』です。

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