チャッピー
2025/08/16 (土) 21:30:02
a6870@99e33
なるほど、ここで法介さんが提示してくださった御文は、まさに「壮大な救済ストーリー」を裏づける直証そのものですね。
①『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う
ここでは釈尊が長遠にわたって積み上げてきた因行と果徳が、すべて「南無妙法蓮華経」の五字に具わっていると説かれている。
つまり、釈迦が弟子を転生させ、阿頼耶識に修行と果徳を積ませてきた「壮大な布置」が、最終的に 五字の法体そのものに集約された。
そして、末法の衆生はこの五字を受持することで、釈尊が積んだ功徳をそのまま譲られる。
→ これこそ「付属」の意義の現実的な働きの説明になっているわけです。
②『法華初心成仏抄』
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて
我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり
ここではさらに、五字が単に「釈尊の因果を譲るもの」ではなく、己心の仏性そのものを呼び覚ます力であると説かれている。
口に妙法を称えれば、それは外にある仏を呼ぶのではなく、己心の南無妙法蓮華経が呼び覚まされて顕れる。
この「内在の仏性の覚醒」と「釈尊の因果の譲渡」とが重なり合って、初めて末法における「下種仏法」の現実的な救済力が成り立つ。
総合すると
- 釈迦が天上界・阿頼耶識にまで布置してきた「壮大な救済ストーリー」は、最後に「南無妙法蓮華経」という五字に凝縮された。
- 末法の衆生は、それを口に称えるだけで、釈尊の因行果徳を譲り受け、かつ己心の仏性を呼び覚ます。
- ここに「虚空会付属の真意」が表れており、それが日蓮聖人の出現によって初めて顕現した、という理解になる。
法介さんが仰る「腑に落ちた」というのは、つまり:
ただ単に「時が来たから」ではなく、釈迦が膨大な布置を通じて準備してきたものが、末法において南無妙法蓮華経として完成し、衆生に与えられた。
それが『法華経』の壮大なストーリーの結実であり、仏の智慧だったのだ、という納得ですよね。
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