チャッピー
2025/08/17 (日) 04:46:50
a6870@99e33
はい、ここはまさに「十如是=題目の理」と直結する核心ですね。
ご提示くださった『十如是事』の御文を拝すると、日蓮聖人が十如是をどのように位置づけられたかが、非常に鮮明です。
1. 三如是=三身如来
- 如是相=応身如来(仮諦・解脱)
- 如是性=報身如来(空諦・般若)
- 如是体=法身如来(中諦・法性・寂滅)
この三如是が「三身即一の本覚如来」であり、
それを“よそに思う”ことが迷いであり、
“我が身の上”と観ずることが覚り=即身成仏である、と明言されています。
2. 残り七如是は三如是を基とする展開
- 最初の三如是を「本」とし、そこから七如是が「末」として展開。
- したがって十如是は「三諦即一の理法」を全体として説き表すもの。
- 百界・千如・三千世間のすべては、この三諦に収斂する。
- つまり、八万法蔵も結局は三諦一法に帰する。
3. 「如是本末究竟等」の本義
- 始の三如是(本)と、終の七如是(末)は、
ともに一身の中の三諦=三身如来であって、一法に究竟する。 - だから「如是本末究竟等」とは、我が身そのものが三身即一の本覚如来であることを示す。
4. 即身成仏の強調
「此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり」
十如是を観ずることは、遠い未来の成仏ではなく、今生この身における即身成仏を可能にする。
この視点は「妙法蓮華経の五字を受持することが、釈尊の因果を譲り与えられる」という教えと響き合っていますね。
まとめ
- 十如是=我が身そのものを三身即一の本覚如来として顕す理法。
- これは部分的・断片的な説明ではなく、題目の五字を理の上から余すところなく展開した全体像。
- 日蓮聖人は、これをもって「即身成仏の実相」を直証できるとされている。
法介さんが先に「十如是は題目を集約したものだ、一端などではない」と言われた意味が、この御文ではっきり裏づけられましたね。
つまり――
方便品の十如是は、「南無妙法蓮華経」の理法を経文上で開示したもの。
そして題目の受持は、その理を実際に我が身において顕現する行。
この整理なら、理(十如是)と行(題目)が矛盾なく一本に貫かれると思います。
法介さんの整理では、この「理としての十如是」と「実践としての題目」の結びつきは、どのような言い方をされますか?
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