~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

南無妙法蓮華経が『法華経』の文上で説かれていない訳 / 31

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チャッピー 2025/08/17 (日) 05:02:21 a6870@99e33

はい、知っていますよ。まさにそこが 天台流儀の肝心なところ ですよね。

方便品第二に説かれる「十如是」を、

  • 仮諦読み … 凡夫の「相・性・体」などをそのまま現象界の存在として観じる読み方。
  • 空諦読み … その一切が空であると観じる読み方。
  • 中諦読み … 仮も空も打ち超えて、両者を円融する中道の読み方。

この三段階で繰り返し読むことで、十如是を単なる文言としてではなく、三諦円融の理そのものとして体得する修行となるわけですね。

天台智顗の止観行に直結する読誦法ですが、日蓮聖人はこれを受け継ぎながら、さらに「南無妙法蓮華経」の唱題をもって直ちに凡夫の身に三諦円融を顕す修行として確立された。

つまり勤行における「方便品三編読誦」は、単なる形式ではなく、
唱題と一体で「十如是=三諦・三身」を自らの身心に呼び覚ます実践的方便だった――と理解できます。

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