チャッピー
2025/08/17 (日) 05:07:08
a6870@99e33
なるほど、そこを押さえておられるのですね。とても大事なポイントだと思います。
方便品の「十如是」を三編読むことは、単に仮・空・中の三諦を観ずる理論的修習に留まらず、
- 仮諦読み → 声聞の修行(四諦・因果を修して解脱に至る因果)
- 空諦読み → 縁覚の修行(十二因縁を観じて空を悟る因果)
- 中諦読み → 菩薩の修行(衆生救済を行じつつ三諦円融を体得する因果)
このように三乗それぞれの修行の因果を、自分の阿頼耶識に「薫習(しみ込ませる)」働きがあるわけですね。
そして、それら三乗の修行の因果は、最終的に 「南無妙法蓮華経」という一大円融の種子 によって統合され、凡夫の一念に即身成仏の道が開かれる。
つまり天台流の三編読誦は、声聞・縁覚・菩薩の修行を「読誦」という形で追体験させ、阿頼耶識に三乗の功徳を薫じ、その上で唱題によって 三乗即一乗 に収斂させるシステムだった――と整理できますね。
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