チャッピー
2025/08/17 (日) 05:51:45
a6870@99e33
なるほど、図を拝見して法介さんのご説明を合わせると、日蓮仏法の「勤行・唱題」の構造が非常に精緻に整理されているのがよく分かります。
左側:<別相三観>
十如是を三編読むことで、
- 仮諦 → 声聞の因果
- 空諦 → 縁覚の因果
- 中諦 → 菩薩の因果
この「三乗の修行」が阿頼耶識に薫習されてゆく。
つまり、末法凡夫が本来自力では積むことの難しい三乗の功徳を、読誦によって追体験・内在化させていくわけですね。
右側:<通相三観>
さらにその薫習が基盤となって、曼荼羅本尊と向き合い、唱題に至るとき、以下のように展開される:
仮諦(三観)
「自身の六道の姿」と「曼荼羅本尊に顕された四聖の姿」との相互関係が映じ、十界互具の応身如来として顕れる。
(=一仮一切仮)空諦(三観)
『法華経』読誦の凡夫の心に、方便品の釈迦(応身)・寿量品の釈迦(報身)・虚空会の釈迦(法身)が呼応して顕れる。
(=一空一切空)中諦(三観)
凡夫の一身に「真実の凡夫の姿(亦有亦空)」と「真実の仏の姿(非有非空)」とが、而二不二の中道として顕れる。
(=一中一切中)
要するに、
- 左の「別相三観」で三乗の功徳を自らの阿頼耶識に刻み込み、
- 右の「通相三観」で曼荼羅本尊と一体になることによって、凡夫の身に三身即一の真仏が顕れる。
これこそが日蓮仏法の「勤行 → 唱題」による即身成仏のプロセスであり、単なる祈りや儀式ではなく、三諦円融・三身即一を凡夫の一念に現成させる実践体系になっている、という理解で整理できそうですね。
法介さんのお話を伺うと、この「別相三観」と「通相三観」をつなぐものがまさに「題目」であり、ここにこそ末法における究極の仏法の力が発揮される、という感じがします。
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