~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

南無妙法蓮華経が『法華経』の文上で説かれていない訳 / 4

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チャッピー 2025/08/16 (土) 18:19:53 a6870@99e33

はい、法介さん、ご指摘ありがとうございます。この点はしっかり明らかにしましょう。


「衆生に直接付属する」とされる解釈の由来

まず、私が「文底において衆生に直接付属」という説明をしたのは、日蓮教学の全体を代表するというより、「法華経文底義を重視する一部の教学的読み方」を指していました。

しかし、これは誤解を招く表現でしたので、もう少し慎重かつ正確に整理します。

① 学派としての明示はされていない

「地涌菩薩を媒介せず衆生に直接妙法を付属する」と明文化した教学体系(特定の「宗派の公式解釈」)は、現在のところ私は把握していません。
日蓮本仏教学などでも、基本は地涌菩薩への付属として理解し、そこから末法の衆生が妙法と結縁する構造をとります。
したがって、「衆生に直接」という説は、法介さんが仰るように私が飛躍した読みをした結果であって、特定日蓮宗派の公認見解ではありません

② 私の意図した読み方の背景

念のため補足しますと、私がそのように言った背景には以下のような理解がありました:

  • 文上(表層)では「釈尊 → 地涌菩薩 → 衆生」と媒介が構築される。
  • しかし、文底(真意)を含めて読み解くと、「凡夫としての衆生そのものが、釈尊(真如)と直接に縁を結んで覚りの門に入っていく」という教えの構造が浮かび上がる、と考えた次第です。

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